2015年12月17日

エデンの園の悲劇 全四話 その4

Image from page 10 of Image from page 10 of "Sweet stories of God; in the language of childhood and the beautiful delineations of sacred art" (1899) / Internet Archive Book Images


エデンの園は、人類の祖先が住んだところです。しかし、神に背いたため、そこを出なければなりませんでした。

以下に、エデンの園の悲劇がよくわかる文章をご紹介します。人類の祖先が神に背いたいきさつが、心理的描写と共に小説のように描き出されています。

エデンの園の悲劇が本当に理解できたら、自分は神に背くのをやめようと思うはずです。

なぜなら、人類の祖先と現代に存在する自分は、同じだからです。その心理はアダムとエバと全く同じだと、思うのではないでしょうか。

神は、背いた二人に、いつか人類の罪を背負って死に、罪を許し再びエデンの園に入れるようにしてくださる方、イエス・キリストの出現を予告しました。

二人は、苦しみと悲しみに満ちたこの世の人生を送らなければなりませんでした。しかし、この艱難辛苦は、人類が経験することで放縦な想いを防いで、清いこころを望むために、訓練として神が与えたものでした。

神の愛と哀れみをここに見ることができます。神は背いた人類を、非情にもエデンの園から追い出したのではなく、人類の祖先が園から出なければならなかったのであり、神は哀れみをもって見守ったのです。エデンの園は、しばらくの間存在していて、アダムとその子孫たちは、その近くで神を礼拝し、もう二度と神に背くまいと誓いを新たにしたのです。

(以下の引用本文は「人類のあけぼの」EG.White著、改行や段落分け、見出しなどは記事の投稿者による。興味ある方は日本語訳原本をお読みください。人類のあけぼの上巻(EG.White著)



第四話
二人は神と顔を合わせることができなかった
しかし、偉大な律法賦与者は、アダムとエバに彼らの罪の結果を知らせようとしておられた。神が園に来られた。彼らが罪なく清いときであれば、喜んで創造主の近づいて来られるのを歓迎するのであったが、いまは、恐れて逃げ、園の奥深いところに隠れようとした。

しかし、「主なる神は人に呼びかけて言われた、『あなたはどこにいるのか』。彼は答えた、『園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです』。神は言われた、『あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか』」(創世記3:9―11)。

アダムは、自分の罪を否定し、言いわけをすることもできなかった。彼は、悔い改めの精神をあらわす代わりに、彼の妻を非難し、ひいては、神ご自身の責任にした。
「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」(創世記3:12)。エバを愛するがために、神に喜ばれることも、楽園の彼の家も歓喜に満ちた永遠の命をも捨てた彼が、罪を犯した今は、罪の責任を妻ばかりでなく、創造主ご自身にまで負わせようとした。罪の力は、これほどに恐ろしいのである。

自己を義とする精神は、偽りの父サタンから始まった
女が「あなたは、なんということをしたのです」と問われたとき、彼女は、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」と答えた(創世記3:13)。
「どうしてあなたは、へびをお造りになったのですか。へびがエデンに入るのをどうしてお許しになったのですか」という質問が彼女の言いわけの真意であった。

このようにして、彼女もアダムと同じく、彼らの堕落の責任を神のせいにした。自己を義とする精神は、偽りの父から始まった。この精神は、われわれの祖先がサタンの力に屈服すると直ちにあらわれた。そして、それ以来、アダムのすべてのむすこ、娘はこの精神をあらわしてきた。謙遜に自分の罪を告白するかわりに、彼らは他の人や、環境、あるいは神を非難して、自分を弁護しようとする。彼らは、神の祝福さえ、神に対するつぶやきの理由にするのである。

神のへびに対する宣告
そこで、主はへびにこう宣告を下された。「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう」(創世記3:14)。
へびはサタンの手先として使われたために、神の刑罰を共に受けなければならなかった。へびは、野の生きもののうちで、最も美しく、ほめそやされていたが、最も卑しめられて、いみきらわれるものとなり、人からも動物からも恐れられ、憎まれるようになるのであった。

へびにむかって語られた次の言葉は、サタン自身に直接言われたもので、彼が、最後には敗北して滅びることをさしていた。「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」(創世記3:15)。

神のアダムに対する宣言
主は、アダムに宣言された。「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」(創世記3:17―19)。

このとき以来、艱難辛苦(かんなんしんく)の生活が人間の運命になったが、これは、愛のゆえに定められたものであった。これは罪の結果、人間に必要となった訓練であって、食欲と情欲の放縦を防ぎ、克己の習慣を発達させるためであった。これは、罪の滅びと堕落から人間を回復する神の大計画の一部であった。

「それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世記2:17)という祖先に与えられた警告は、彼らが禁じられた木の実を食べたその日に死ぬという意味ではなかった。しかし、その日に、取り消すことのできない宣告が発せられるということであった。不死は服従の条件のもとに約束された。罪を犯せば、永遠の命を失うのであった。その日に、彼らは死ぬ運命に定められるのであった。

(蛇足:「その日」が強調されているのには理由があり、英語欽定訳聖書もルターのドイツ語訳聖書も、創世記2:17には「その日」が入っているのです。日本語口語訳には入っていません。)

posted by signs at 20:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 終末時代のヒント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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