
エデンの園とは、人類の祖先が住んだところです。しかし、神に背いたためそこを出なければなりませんでした。
以下に、エデンの園の悲劇がよくわかる文章をご紹介します。人類の祖先が神に背いたいきさつが、心理的描写と共に小説のように描き出されています。
エデンの園の悲劇が本当に理解できたら、自分は神に背くのをやめようと思うはずです。
なぜなら、人類の祖先と現代に存在する自分は、同じだからです。その心理はアダムとエバと全く同じだと、思うのではないでしょうか。
神は、背いた二人に、いつか人類の罪を背負って死に、罪を許し再びエデンの園に入れるようにしてくださる方、イエス・キリストの出現を予告しました。
二人は、苦しみと悲しみに満ちたこの世の人生を送らなければなりませんでした。しかし、この艱難辛苦は、人類が経験することで放縦な想いを防いで、清いこころを望むために、訓練として神が与えたものでした。
神の愛と哀れみをここに見ることができます。神は背いた人類を、非情にもエデンの園から追い出したのではなく、人類の祖先が園から出なければならなかったのであり、神は哀れみをもって見守ったのです。エデンの園は、しばらくの間存在していて、アダムとその子孫たちはその近くで神を礼拝し、もう二度と神に背くまいと誓いを新たにしたのです。
(以下の引用本文は「人類のあけぼの」EG.White著、改行や段落分け、見出しなどは記事の投稿者による。興味ある方は日本語訳原本をお読みください。人類のあけぼの上巻(EG.White著)
第一話
人類初のテスト
知識の木は、彼らの神に対する服従と愛を試みるためにおかれた。主は、園の中にあるすべてのものを彼らが用いるに当たって、1つの禁令を設けるのがよいとお考えになった。
しかし、彼らがこの点で神のみ旨を無視するならば、彼らは、罪を犯すことになるのであった。サタンは、彼らのあとを追って絶えず誘惑することは許されなかった。サタンは、ただ禁じられた木のところだけで、彼らに近づくことができた。
もし、彼らがその木がどんなものであるかを知ろうとすれば、サタンの策略にさらされることになるのであった。彼らは、神から与えられた警告に注意深く耳を傾け、神がみこころのうちにお与えになった教えに満足するように忠告された。
ヘビはサタンに用いられた
サタンは、人に気づかれないように働きを進めるために、媒介としてへびを用いることにした。これは、欺瞞の目的には、ちょうどよい変装であった。そのころ、へびは、地上の動物のうちで、最も賢く、最も美しいものの1つであった。
へびには羽があって、空を飛ぶときは、みがき上げた黄金の色と輝きを放っていた。へびが禁断の木の実り豊かな枝にとまって、おいしそう果実を食べているありさまは、人の注目をひき、目を楽しませるのであった。こうして、平和な楽園に獲物を待ち受ける破壊者がひそんでいた。
園の中で毎日の仕事をするときに、夫のところから離れないようにと、天使はエバに注意した。彼女が夫といっしょにいるときは、1人でいるときより誘惑に陥る危険が少なかった。
しかし、エバは、楽しい仕事に夢中になって、知らず知らずのうちに、夫のそばから離れていった。彼女は、自分が1人なのに気づいたときに、身の危険を感じたが、自分には悪を見わけてそれを退ける知恵と力が十分にあると考えて恐怖をしずめた。
なぜ神がこれを禁じられたのか?エバは疑問をもった
彼女は、天使の注意に気をとめないで、まもなく、好奇心と賛嘆のまじった思いで禁じられた木をながめていた。その実は、非常に美しかった。彼女は、なぜ神がこれを禁じられたのかと疑問を抱いた。それが、誘惑者の待っていた機会であった。
彼は、彼女の心の動きを読みとることができるかのように、彼女に言った。「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」(創世記 3:1)。エバは、自分の心の思いが声となったのを聞いたような気がしてはっと驚いた。
しかし、へびは音楽のような声で、彼女のすばらしい美しさを巧みにほめ続けた。その声は不快ではなかった。彼女は、その場所から逃げ去ろうとしないで、へびが語るのを聞いて、不思議に思いながら、ためらっていた。もし、エバが天使に語りかけられたのであれば、彼女は、恐怖心を抱いたことであろう。
しかし、エバは、目を奪うばかりのへびが、堕落した敵に用いられるとは夢想だにしなかった。(続く)