東洋のシンドラーと海外で呼ばれる杉原千畝氏。日本政府に背き、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人たちにビザを発給し、約6千人のユダヤ人難民を救った。1940年、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスでのこと。
元記事 http://www.christiantoday.co.jp/articles/16861/20150821/sugihara-chiune-6000-people-visa.htm
英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語の語学に精通し、中でもロシア語の能力が極めて高かった杉原氏は、ノンキャリアでありながら、外務省きってのロシア通として知られ、異例の昇進と待遇を受けた。
カウナスでの仕事は、40年9月に締結することになる日・独・伊の三国協定を前にして、ドイツとソ連の情報を集めることだった。
国家機密に関する外務省の仕事を忠実にこなしながら、その一方で外務省の命令に背き、同盟を今まさに結ぼうとしているドイツが敵視するユダヤ人のためにビザを発給することを決意し、実行に移した。
「私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く。」と決意したという。
杉原氏は、ビザを発給するとき幸子さんに、「外務省に背いて、領事の権限でビザを出そうと思う」と決意を述べ、「ここに100人の人がいたとしても、私たちのようにユダヤ人を助けようとは考えないだろうね」と言ったという。幸子さんがこのとき、「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけれど、そうしてください」と答えたという。
後に、外務省を依願退職させられることになり、不遇ともいえる生活を送ることになるが、1985年には、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を受賞する。そのときの取材で、「私は、あのとき、ビザを出したことを誇りにしています。外交官としては問題のある行為でしたが、人間としては間違っていなかったと思います。」
映画「杉原千畝 スギハラチウネ」予告編