イスカリオテのユダがキリストを裏切る場面
ユダ(イスカリオテのユダとも言う)が、イエス・キリストを裏切って銀貨30枚で祭祀長と宗教学者たちに売り渡したことは、よく知られている。
この聖書に記録された話は、弟子が自分の先生を裏切ったというだけではない。ユダは自分の救い主である方を裏切ったのだった。だから、その人は「生れなかったほうが良かった」とイエスは言ったのだ。
うろ覚えの方もいるはずなので、以下に理解に必要な聖書の箇所を引用するが、興味深いところなので辛抱してお読みください。
1過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。(改行と下線はブログ投稿者による)
2イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
3その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
4弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
5「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
6彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
7イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
8貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」。(ヨハネ12章)
14時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って
15言った、「彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか」。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
16その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。 (マタイ26章)
さて、この話を読んで、「自分はユダではない」と思っただろうか?それとも「自分はユダかもしれない」と思うだろうか?
もう少し説明を加えると、ユダは自称弟子だったとされている。しかし、イエスはユダを弟子に加えることを許したのだった。
ユダは財布を預かっていた、つまり会計係りをやっていた。他の弟子たちは、漁師あがりだから金の計算は得意ではない。会計を任されたのだから、ユダは能力の持ち主だったはずだ。
しかし、ユダは「自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていた」
とあるから、会計の金を自分用に使い込んでいたわけだ。まさに盗人であった。

Altar : detalhe : Judas Iscariotes / Eugenio Hansen, OFS
他の弟子との違いがここにある。漁師あがりの弟子たちは、船も網も家族も捨てて、イエスに従った。自分用に、何も取って置かなかった。
ユダは、イエスと弟子たちのための宣教の資金を盗んで、自分用に取っていた。
イエスは、このことを知らなかったわけではないし、破門することも出来た。しかし、最後までユダをイエスの元にとどめ置いたのはちゃんと理由がある。もし、ユダを破門したら、ユダはさらに悪事を働き、イエスの宣教と来たるべき十字架の死にいたるシナリオを曲げる恐れがあったのだ。
ユダの話が現代人に与える教訓は、イエス・キリストに従うには、何か自分用に取って置いては、危険だということだ。
自分の密かな罪の楽しみを、こっそり取って置くと、そこに付け入るものがある。サタンである。
有能な弟子になれたはずのユダが、失敗したのは、こっそりドロボウを働いていたから、その罪から心の隙が生じ、そこに乗じてサタンがユダの心を支配したのだった。
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